不測の自体は、50年あれば不測ではない

不測の事態という表現はよく使われますが、実はその多くは長い時間軸で見ると「確率的に予測」すべき出来事です。例えば、50年という期間を考えたとき、自分自身や近親者が病気になったり、けがをしたり、あるいは亡くなる可能性は高いといえます。また、離職や離婚といった人生の大きな転機も十分に起こり得ます。

私自身、50歳までに弟や親友を含め5名の親しい人との死別を経験しました。それぞれが予期せぬ出来事でしたが、一方で長い人生を生きる上では、それほど珍しい出来事ではないのかもしれません。それこそ東日本大震災で両親を亡くし、同時に原発事故で故郷を無くした知人もいます。

これから50年間生きるという前提で考えると、これらの「不測」の事態は必ずしも「不測」ではないといえます。それらは予測可能であり、準備をしておくべき出来事なのです。

具体的な準備の一つは、災害リスク低減することです。災害の多い地域から離れる、避難場所を事前に確保し、災害時の行動計画を立てるなどが必要です。これは、兼業就農で二拠点生活や移住により、簡単に解決できます。田舎には食料も水も十分にあり、太陽光発電などで電気も起こすことができます。

次に、自身の健康管理も重要です。健康な心と体は、長期にわたる人生をより良く生き抜く基盤となります。また就農することで、健康的な生活をおくることできるでしょう。農家のお年寄りは、みなさん、とても元気です。

経済的な側面も当然、考慮する必要があります。新たな収入を創ったり、生活費を低減することで、不測の事態が生じたときの経済的なダメージを減らすことが可能です。貯蓄や投資により経済的なセーフティネットを張りながら、里山の資源を利用して、複数の収入源を確保することも重要です。

要するに、人生百年時代を生きるためには、不測の事態を「確率的に予測可能な事態」と捉え、対策を講じることが求められます。災害リスクの低減、健康管理、経済的な安定がその三つの鍵となります。拠点を里山に持つことは、その三つの鍵すべてを解決する力を持つということなのです。

 ポイント 

?✨ 予測できないことが起こることを想定し、?
?用意しておけば、老後の心配をかなり軽減することが可能です。?
?一番適しているのが農業なのです。??