時間ない、機械ない、金ない、兼業農家は、独自の戦い方を考えよう!
兼業農家独自の戦い方
1年間で150名以上の生徒と話し合い、そしていろいろと情報交換をする中で、改めて専業農家と兼業農家は戦い方が違うということに気づいてきたヨd[×゚д゚]ハッ!
まず前提として、兼業農家は(1)時間がない、(2)機械がない、(3)技術がないということだ。しかし一方で本業の収入があるため、(1)果樹栽培のような長期展望ができる、(2)通勤などの隙間時間に戦略を立てたり、ネット作業ができる、(3)現状の職業経験や人脈を活用できるなどのメリットもある。
最近、米を大量にコンビニなどに企画を持っていって販売しようと縁をたどると生徒の中にコンビニ担当者がいたりする。やはり企業人として働いてきたこと自体が様々な人脈があり、それを農業の販促などに応用できるということだ。
行政の就農支援は専業が前提
以前から行政の農政担当の人たちと話してきたが、今まで兼業就農を受け入れた経験がないため、どうしてもその知識は、専業農家特有のものとなってしまう。結果的に、本来兼業就農者が望むあり方と全く違う提案をしてしまうこととなる。実際の田舎の現場において、高齢の農家の方々は、そもそも専業では無理といっている現実を見なければならない。
具体的には、機械が必要、農地も広くなければ収支がとれない、生活費も一年分は最低用意などのアドバイスが兼業農家に必要かというとそもそも必要がない。また農地は簡単に見つかりませんなどもブースでは、まことしやかに言われているが、実際に当校の生徒はどんどんと見つけてきている。これは公務員的発想で探す分には見つからないというだけで、農地探索はそれほど難しいことではない。しかし権威がある就農支援の組織に、そういわれてしまうと勝手に思い込むことになるのも当然だ。収益をすぐに得ようとしないのであるならば、機械も最低限のもので十分だし、生活費をそもそも農業に依存しないのであるならば、問題もない。
この齟齬に気づくと、そもそも就農アドバイスの前提が違うということがわかる。結果、良心的な支援施設は、50代の就農希望者に対しては、当方では受け付けが無理なので、チバニアン兼業農学校に行った方がよいですよと提案してくれている。
相撲とプロレス
違いをわかりやすく説明する時には、専業農家を「相撲」とするならば、兼業農家は「プロレス」くらい違うとしている。それこそ、兼業農家が同じ土俵で戦うことは、不毛な世界に入っていってしまうということだ。そもそも専業農家ですら、それほど儲かっていないのに同じ環境で戦う意味があるはずもない。
また面白いことは、この兼業農家の戦い方自体を研究しているのが、世の中でチバニアン兼業農学校しかない。グループウェアで情報交換を続けているが、どんどん兼業農家の集合知が高まってきているのは間違えない。
専業農家の高齢化は、大変なことになっているし、若い人は栽培で忙しく、6次産業化をすすめたり、ネット作業をやる暇がない。農業業界自体を憂慮する気持ちはあるが、50代ともなり、定年後のことも考えるとまず自分の近い将来を考えることが先となる。専業農家の一部の方には、考えが甘いとか、無理とかいわれてきてはいるが、実際の地方農業の疲弊は酷く、高齢の農家の方々には、兼業でも継がない息子娘よりはありがたいと結構いわれている。
田舎に潤滑油として兼業農家が入りやすいという点も注目したい。もちろん、農家なので栽培もやるだろうが、実は何かやる時にすべて栽培する必要もない、多品目を自分でそろえようとすると大変なことになるからだ。そういう点では、お互い補いあいながら協力しあって、出店やイベントなどを考えるのも面白いと思う。