稲作自体はオワコンだが変えられるのか?

爺さんは、壱岐島で農家だった。本当に単純に米農家だった。先祖は平戸藩から島流しにあったが、士族であり、GHQの農地解放前は、かなりの土地持ちであったことが、彼の誇りであった。牛も飼っていた。

二人の兄は、それぞれ医者と歯医者になり、姉すらも島ではじめての女医となったくらいなのに、頭もよくなかったのかもしれないが、誰もいないからと農家を継がされたようだ。それでは可哀そうと思われたのかわからないが、農地とかなり離れた場所に旅館をもらっていた。それが僕の生家平山旅館である。

従弟が元々裁判官で、そのおかげで民間法務委員か何かに任命され、いつもの野良着から、安っぽいスーツに着替え、その際に任命のバッジを本当に誇らしげ、嬉しそうにつける爺さんを思い出すと涙が出てくる。

なぜか自分が農家なのに、初孫の僕に一切農家をやれとは言わなかった。農家の大変さもほとんど語らなかった。子供の頃、僕は父よりも爺さんが好きで、いつも戦時中の話を聞くのが好きだった。

ある時、どのような機会かわからないが、爺さんが小作にだしている田んぼの刈り入れがあるから手伝うことになった。軽装でいって、肩に藁を背負う際に、死ぬほどかゆくなったのを覚えている。島の多くの同級生は、こんな経験をしていたのだ。みな、秋なのに長袖だったのに合点がいった。爺さんが、している仕事がいかに大変か、尊敬の念をもって思った。

米は、やはり日本人の主食である。なんとか、稲作で収支がでるモデルを作ってみたいと考えるのは、僕にとって自然なことである。思えば何も語らなくても、あれほど僕の爺さんが守ってきた稲作を自身でやってみたいと考えているのだよ(*’ω’*)

僕らは、農業に生かされている…

オワコンだから、稲作を改めて盛り上げてみたいのよ

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11月19日読了書籍