マニュアル時代の就農

我々70年代生まれは、ちょうどマニュアル世代といわれた。面接のマニュアル、果ては自殺マニュアルまであった時代。しかしその後の世代は、マニュアルから離れられたのだろうか?我々端境期以降、むしろマニュアル化が進んだものと思っているヨウd[×ノД`]b

もちろん、それを踏まえて千葉煮餡は開校したのも事実である。専業就農ならともかく兼業就農なんて、ほぼ無理(本当はどこまでもやり続ければできると思うが、そんな時間も余裕もない)、そこで兼業就農をマニュアル化し、また簡略化をすすめ、再現性を高めたのだヨ。

自分が生まれた環境は小さな島であったので、当時は本土よりも10年は遅れていたと思う。小さな旅館を両親は運営し、そこで育ったが、あまりマニュアル的なものはなく、全て自分の頭で考えなければならなかった。ある時、父が温泉で客が使う水がもったいないと無茶なことを言い出した。いやいや、水道以外ないだろうがと思ったが、自分で井戸を掘って、それを使うことで水道代を浮かせたことを見て、意識改革されたような気がする。

千葉煮餡では、農地取得まではマニュアル的にできると思うが、その後、更に収益を上げていくためには自分で考える力が求められると思って、そのためのカリキュラムにも力を入れているのだd[× ̄□]≪ 炎炎炎炎炎炎炎炎