温暖化はどこで止まるのか

温暖化はどこで止まるのか

毎年更新される観測史上最高気温、猛暑日や記録的豪雨、季節感のずれ。こうした変化は、もはや一時的な異常ではなく、私たちの暮らしの前提条件そのものを揺さぶり始めています。”地球沸騰化”とまで言われてしまう始末です。その中で多くの人が感じているのが、「この温度上昇は、いったいどこで止まるのか」という素朴な疑問です。本記事では、この問いに対して、農業・食料・地方という視点から、感覚論ではなく構造として整理していきます。

温度上昇は自然には止まらない

地球の気温は、自然にブレーキがかかる仕組みを持っていません。気温は、太陽から受け取るエネルギーと、大気中に存在する温室効果ガスの量とのバランスで決まります。人間活動による排出が続く限り、そのバランスは崩れ、気温は上がり続けます。

重要なのは、「どこで止まるか」は自然現象ではなく、人間社会の行動の結果だという点です。排出を減らせば上昇は緩やかになり、止めれば安定に向かいますが、何もしなければ上がり続けます。つまり、温暖化の行き着く先は、私たちの選択の積み重ねによって決まるのです。

数度の上昇が社会の前提を壊す

1.5℃、2℃、3℃という数字だけを見ると、小さな違いに感じるかもしれません。しかし、農業や社会にとって重要なのは平均気温の数字そのものではありません。

問題なのは、気温上昇によって「これまで安定していた環境条件」が崩れることです。雨の降り方、季節の進み方、昼夜の温度差といった微妙なバランスの上に成り立っていた農業や生活は、わずかな変化でも大きな影響を受けます。数度の上昇は、単なる暑さではなく、社会の前提条件そのものを変えてしまうのです。

農業はすでに構造転換期に入っている

作物は取れても、農業が成り立たなくなる

現在の農業現場では、「全く作れない」というよりも、「作れても成り立たない」状況が増えています。高温障害による品質低下、着果不良、白未熟粒の増加などにより、収穫量は確保できても単価が下がる。一方で、病害虫対策や水管理、資材費は増え続けています。結果として、努力しても利益が出にくい構造が生まれています。これは農家の技術や意欲の問題ではなく、環境条件の変化による構造的な問題です。

経験と勘が通用しない農業へ

農業は長年、経験と地域の知恵によって支えられてきました。しかし、作期のずれや天候の極端化により、「例年通り」が通用しなくなっています。ベテランほど判断が難しくなり、新規就農者は正解を学ぶ機会を失います。農業は再現性の高い仕事から、不確実性を前提に判断し続ける仕事へと変わりつつあります。

病害虫の年中化がコストを押し上げる

温暖化は病害虫の生存範囲を広げ、発生時期を早め、年間を通じた被害を引き起こします。その結果、防除回数は増え、コストは上がります。特に有機栽培や減農薬栽培では、その影響が顕著です。これは個々の農家の工夫だけでは解決できない、環境変化に起因する課題です。

食料は「買えるもの」ではなくなる

国産の不安定化が日常になる

国内農業の不安定化は、すでに食卓レベルで影響を及ぼし始めています。猛暑や干ばつ、集中豪雨による不作はもはや例外ではなく、毎年どこかの作物で発生する「日常的な出来事」になりました。その結果、野菜や米、飼料作物の収量は安定せず、価格は大きく上下します。「今年は高い」「今年は品薄」という声は、今後さらに頻繁に聞かれるようになるでしょう。

これまで私たちは、多少の値上がりはあっても、必要な食料は安定して店頭に並ぶという前提で生活してきました。しかし、温暖化と担い手不足が同時進行する中で、この前提そのものが崩れつつあります。安定供給を前提にした価格感覚や消費行動は、これからの時代には通用しなくなります。食料は「安いか高いか」ではなく、「手に入るかどうか」という次元で語られる場面が増えていきます。

輸入に頼れない時代が始まっている

食料不安は、国内だけの問題ではありません。世界各地で異常気象が常態化し、穀物や油糧作物、飼料の主要生産国が、自国の食料確保を優先して輸出を制限する動きが強まっています。国際市場では、供給が少し揺らぐだけで価格が急騰し、その影響を為替変動がさらに増幅します。

これまでは、国内で足りなければ海外から買えばよいという発想が成立していました。しかし今後は、「世界全体が同時に不安定になる」状況が増えていきます。その中で、日本のように食料自給率が低い国は、価格競争力だけでは十分な量を確保できなくなる可能性があります。お金を出せば必ず買えるという前提は、すでに揺らぎ始めています。

食料の位置づけが変わるという現実

こうした流れの中で、食料は単なる市場商品ではなく、国家や社会の安全を支える戦略物資としての性格を強めています。エネルギーや水と同じように、安定的に確保できるかどうかが、生活の持続性を左右する要素になりつつあります。

個人レベルでも、この変化は無視できません。すべてを市場に委ね、「必要なときに買う」という姿勢だけでは、将来的な不安定さに耐えきれなくなる可能性があります。一部でも自分で作れる、信頼できる生産者とつながっている、複数の調達手段を持っている。そうした小さな備えの有無が、生活の安心感に大きな差を生みます。

「持たない前提」からの転換

これからの時代に求められるのは、すべてを自給することではありません。しかし、食料を完全に外部依存する前提からは、徐々に距離を取る必要があります。少量でも土に触れ、作る側の視点を持つことは、価格変動や供給不安に対する耐性を高めます。

食料は、これまでのように「いつでも、いくらでも買えるもの」ではなくなりつつあります。その現実を直視した上で、どこまでを市場に委ね、どこからを自分や地域で支えるのか。その線引きを考え始めること自体が、温暖化時代を生き抜くための重要な一歩になります。

兼業就農というリスク分散の発想

条件によって明暗が分かれる地域の未来

温暖化は、日本全体を一律に衰退させる現象ではありません。実際には、地域ごとの条件差によって、農業の持続可能性にはっきりとした明暗が生まれ始めています。水資源が不安定で、夏季の極端な高温、突発的な豪雨、獣害の増加が同時に重なる地域では、これまで当たり前だった作物が成立しなくなり、用水路や農道といったインフラの維持すら困難になりつつあります。こうした地域では、担い手不足と気候変動が同時進行し、農業そのものが撤退局面に入る可能性も現実的です。

一方で、年間を通じて水が比較的安定しており、一定の標高があって夏の極端な高温を避けやすい地域、さらに都市部からのアクセスが良い場所は、逆に価値を高めていく可能性があります。流通や人材、資本との距離が近いことは、不安定な時代ほど大きな強みになります。これからの地方は、漠然とした「衰退」ではなく、「条件による選別と再編」が進む時代に入ったと見るべきでしょう。

問題の本質は「予測できない社会」への移行

温暖化を語る際、つい平均気温が何℃上昇するのかという数値に注目しがちです。しかし、農業や地域社会にとって本当に深刻なのは、気温の絶対値そのものではありません。最大の問題は、予測できない、安定しない、そして元に戻らないという三つの性質です。

いつ雨が降るのか、いつ猛暑が来るのか、台風の進路がどうなるのかが読めない状況では、作付計画や設備投資、長期的な営農計画そのものが立てにくくなります。過去の成功体験や「例年通り」という感覚は、もはや保証のないものになりました。これは農業だけでなく、食料供給、地域経済、生活設計の前提条件を根底から揺さぶる変化です。安定を前提とした社会から、不確実性を前提とした社会へと、すでに移行が始まっています。

兼業就農というリスク分散の発想

チバニアン兼業農学校では、温暖化を「農業の終わり」とは捉えていません。むしろ、不確実性が高まる時代だからこそ、農業との関わり方を見直す必要があると考えています。その中心にあるのが、仕事を辞めずに小さく始める兼業就農という選択です。

収入を一つの仕事、一つの産業に依存するのではなく、本業収入に加えて農業収入や自給的な食の確保を組み合わせることで、生活全体の耐久力は大きく高まります。気候によって収穫量が変動しても、生活が直ちに破綻するわけではありません。逆に、本業が不安定になった場合でも、農という実体のある活動が支えになります。環境が不安定な時代ほど、リスクを一か所に集中させない生き方は、結果的に強さを持ちます。

変化を前提に、今から備えるという選択

温暖化は、もはや未来の話ではなく、すでに進行中の現実です。ただし、どのように農と関わり、どのような距離感で地域に根を張るのかは、今からでも選び直すことができます。すべてを賭けるのではなく、小さく試し、複線化し、続けられる形を探る。その積み重ねが、結果的に長く残る農と暮らしをつくります。

チバニアン兼業農学校は、理想論ではなく、現実を直視したうえで、「続けられる農」と「生活として成り立つ仕組み」を具体的に示し続けていきます。不確実な時代だからこそ、備え方そのものが生き方の差となって表れる。その選択肢を、これからも一つずつ提示していくつもりです。

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