野菜が消える日がくる?兼業就農者が語る、食の危機とこれからの農業

近年、気候変動による異常気象や世界的な農業人口の減少などの影響が顕著になりつつあります。日本では1993年に米不足が起こり、大きな社会問題となりましたが、それから約30年を経た今、再び米の供給不足が懸念されています。その背景には、かつてとは異なる構造的な問題がいくつも存在しています。代表的なものとして、国内の農業従事者の急速な高齢化・人口減少、そして地球温暖化による天候不順や干ばつの頻発が挙げられます。
まず、国内の農業を担う人々の減少と高齢化は深刻な課題です。総務省の統計や農林水産省の「農林業センサス」によると、農業従事者数は年々減少傾向にあり、平均年齢は68歳を超えています。農地の集約や農業技術の省力化が進んでいるとはいえ、担い手不足が長期的に続くと、国内の食料自給力が低下する恐れが高いです。とりわけ米をはじめとする主要作物の生産量が減少していけば、価格の上昇は避けられません。
加えて、地球規模の温暖化や異常気象は農業大国への打撃を拡大させ、それが世界の食料事情に影響を及ぼす可能性があります。大規模な干ばつや洪水が発生すると、主食や飼料穀物の世界的な生産量は大きく落ち込み、輸入に依存する国では安定的な食料調達が一段と困難になるでしょう。日本も多くの農産物や飼料を海外に頼っているため、海外の大規模生産地に気候災害が起これば、その影響は日本の食卓に直結すると考えられます。
こうした状況を踏まえると、今後は食料品の高騰や品不足が繰り返し起こる可能性が高いです。たとえば、農業新聞の「野菜果実 週間・高値ランキング」を見ても、天候不順や物流コストの上昇などの影響で野菜・果物の価格が上がっている様子がうかがえます。日常的に野菜や果物の価格が上振れすると、家庭の食卓だけでなく、飲食業や学校給食など幅広い分野でコスト増が発生し、経済全体にも影響を及ぼすでしょう。
個人的な体験ですが、私の祖母は戦時中を生き抜いたにもかかわらず、実は好き嫌いが多い人でした。一方、妻の祖母は宮内大臣の娘という特殊な家庭環境にいたにもかかわらず、戦中の食糧難を知っているためか、好き嫌いがまったくありませんでした。この両者の違いには、戦中の食糧事情で苦労したかどうかが関係しているように思います。私の曾祖父は壱岐島で獣医をしていたため、戦中も食糧事情に恵まれていたと聞きます。こうした「困らない環境」と「困る環境」の違いが、その後の食に対する姿勢に大きく影響するのだと感じます。
一方、私は現在「兼業就農」に取り組んでいますが、まだ社会的に十分な理解を得られているとは言えません。とはいえ、実際に畑を耕して感じるのは、野菜の需要が高まる一方で、天候の変動や害虫被害、農業資材の値上がりによる負担増といった生産現場の厳しさです。価格データをチェックしていても、野菜の取引価格が急騰する場面が増えており、今後もこうした動きは続くと予想されます。生産する側としてはありがたい反面、消費者の生活における負担や、社会的影響の大きさを考えると複雑な気持ちになります。
結局のところ、日本の食料自給率は約37%前後(カロリーベース)とされるなど、海外に頼らざるを得ない構造的な要因があります。もしも米や小麦、トウモロコシなどの主要作物を海外から十分に輸入できなくなれば、国内流通価格に大きな影響が出るのは避けられません。さらに、国内の農業は高齢化や担い手不足の問題を抱えており、補助金や技術革新だけでは抜本的な対策が難しいのが実情です。これらの要素が重なれば、1993年の米不足のような事態が再び起こる可能性は十分にあるでしょう。むしろ頻発することとなるでしょう。
今後の見通しとしては、農業者人口の維持・拡大、高齢化対策、気候変動への適応策、さらには輸入依存度の高い食料構造の見直しが急務になっていきます。海外の気候変動や国際情勢がひとたび不安定になると、農産物の輸入価格は上昇し、国内でも価格が高騰しかねません。歴史は繰り返されると言われるとおり、戦中ほど深刻ではないにせよ、世界的な食料需給の逼迫がもたらす衝撃は大きいのではないでしょうか。生産者としてできる限りの工夫を続けつつ、私たち一人ひとりも「食」に対する意識を改めて見直す時期に来ているのだと思います。