「農業なめんな」と言われたので、兼業就農について本気で考えてみた

「農業なめんな」。広告を出したところ、そんなコメントをいただきました。正直、そう言いたくなる気持ちはわかります。農業は簡単ではありません。天候に左右され、害虫や病気に悩まされ、資材費は上がり、機械代もかかります。机の上で考えた通りに進むことの方が少ない世界です。
だからまず、はっきり言います。農業はなめてはいけません。専業農家として、農業だけで家族を養い、毎年安定して利益を出し続けることは、本当に厳しいことです。長年、農業を続けてきた人から見れば、数か月の研修で「農業を始められる」と聞くと、軽く見られたように感じるのかもしれません。
ただし、ここで考えたいのは、私たちが目指している農業が、批判している人の頭の中にある”農業”と同じなのか、という点です。
目次
「農業なめんな」と言う人の理屈

「農業なめんな」という言葉の背景には、いくつかの考え方があります。ひとつは、農業を神聖視する感覚です。農業は命を育てる仕事です。食べ物を作り、地域の土地を守り、自然と向き合う仕事でもあります。だからこそ、軽い気持ちで入ってきてほしくない。そう感じる人がいるのは自然です。
もうひとつは、「農業は簡単にできない」という経験則です。種をまけば育つ。畑を借りれば農家になれる。週末だけで簡単に稼げる。もし、そんなふうに考えている人がいたら、それは確かに危険です。農業には技術も経験も必要です。地域との関係もあります。農地を守る責任もあります。
さらに、農業には”厳しい仕事”というイメージがあります。朝が早い。体力がいる。休みがない。機械代が高い。失敗すると収入が大きく減る。このイメージも、決して間違いではありません。
実際、農林水産省の資料を見ても、日本の農業は担い手の減少、高齢化、後継者不足という大きな課題を抱えています。令和7(2025)年の基幹的農業従事者数は103.6万人で、平成27(2015)年の175.7万人から大きく減少しています。新規就農者数も令和6(2024)年は43.5千人で、平成28(2016)年の60.2千人を下回っています。つまり、農業が厳しいという認識そのものは、感情論ではなく、データから見ても事実です。
その批判は、ある意味では正しい

もし批判している人が想定しているのが、農業一本で生活費を稼ぎ、借入をして機械をそろえ、毎日畑に入り、天候や市場価格と戦いながら家族を養う専業農家であれば、「農業なめんな」という言葉はよくわかります。その世界に、準備も覚悟もなく入るのは危険です。
農業だけで生計を立てることの厳しさは、数字にも表れています。農林水産省の令和7年度食料・農業・農村白書によると、2024年の全農業経営体1経営体当たりの農業所得は168万6千円、主業経営体では494万2千円です。もちろん、品目、規模、地域、販売方法によって大きく違います。大きく稼いでいる農家もいます。しかし平均値を見る限り、農業だけで安定した生活を築くには、相当な経営力、技術、投資、販路、継続力が必要です。
だからこそ、会社員がいきなり仕事をやめて農業一本にするのは、かなりリスクが高い。ここは、私たちもまったく同じ考えです。
ただし、私たちが狙っている農業は少し違う

チバニアン兼業農学校が提案しているのは、いきなり専業農家になる道ではありません。本業を持ったまま、数年かけて農業を学ぶ。生活費を農業だけに依存しない。最初から大きな借金をしない。小さく始めて、経験を積み、地域との関係を作る。収益だけでなく、自給、健康、居場所、定年後の選択肢も含めて考える。私たちが提案しているのは、そういう農業です。
これは、農業を軽く見ているのではありません。むしろ、農業が厳しいからこそ、いきなり人生を賭けるのではなく、一歩身を引いた形で関わるべきだと考えています。
仕事を続けながら農業を学ぶなら、生活費は本業で支えられます。農業は数年かけて育てることができます。最初は自給や小さな販売から始めることもできます。失敗しても、生活そのものが崩れない形にできます。
これは逃げではありません。リスク管理です。
「一歩身を引いた農業」という選択肢

これからの時代に必要なのは、専業農家か家庭菜園か、という二択だけではないと思っています。農業だけで食べていく専業農家。趣味として楽しむ家庭菜園。その間に、本業を持ちながら農地に関わる兼業農家がいていい。
この”中間”が弱いままだと、農業に関心を持つ人は増えても、実際に地域の農地を支える人は増えにくい。兼業就農は、農業を軽く見る考え方ではありません。むしろ、農業に関わる人の入口を広げる考え方です。
たとえば、すぐに大きく稼げなくても、自分の家族が食べる米や野菜を作れるだけで価値があります。物価が上がる時代に、自分たちの食べ物の一部を自分たちで作れる。週末に体を動かす場所がある。定年後に地域とつながるきっかけがある。耕作放棄地を少しでも使える土地に戻せる。これは、農業所得だけでは測れない価値です。
厳しい批判があるから、新規参入者は入りづらくなる

一方で、「農業なめんな」という言葉が、新しく農業に関心を持った人を遠ざけてしまう面もあります。もちろん、甘い考えで入ってくる人には注意が必要です。でも、最初から完璧な覚悟と技術を持って農業に入る人など、ほとんどいません。
誰でも最初は初心者です。初心者を笑うのではなく、育てる仕組みが必要です。無謀な参入を止めることと、入口を閉ざすことは違います。
農業を守りたいなら、農業の厳しさを伝えるだけでは足りません。どうすれば無理なく始められるのか。どうすれば地域に迷惑をかけずに学べるのか。どうすれば専業農家の邪魔ではなく、地域農業の支え手になれるのか。そこまで設計する必要があります。
プロ野球と少年野球だけでは、野球人口は広がらない

農業を野球にたとえるなら、専業農家はプロ野球です。高度な技術、覚悟、毎日の練習、結果への責任。尊敬されるべき存在です。
一方、家庭菜園は少年野球のようなものかもしれません。楽しみながら土に触れ、育てる喜びを知る入口です。でも、世の中にはその中間も必要です。仕事を持ちながら本気で野球を続ける社会人野球のように、仕事を持ちながら本気で農業に関わる人たちがいていい。
専業農家(プロ野球)と家庭菜園(少年野球)の間に、兼業農家(社会人野球)という層を育てる。これが、これからの農業のすそ野を広げるために必要な考え方だと思います。
まとめ

「農業なめんな」という批判は、完全に間違っているとは思いません。農業は本当に厳しい。簡単に稼げる世界ではありません。自然も、市場も、地域も、甘くありません。
でも、だからこそ、いきなり専業農家になるのではなく、本業を持ちながら、数年かけて農業を学ぶ道が必要です。農業をなめているのではありません。農業の厳しさを知っているから、兼業という入り方を提案しています。
これからの日本に必要なのは、農業に人生を懸ける専業農家だけではありません。農業に少しずつ関わり、地域の農地を守り、自分たちの食べ物を作り、定年後の生き方を育てていく人たちです。
農業を守るために、入口を狭くするのか。農業を守るために、学べる入口を増やすのか。私たちは後者を選びたいと思っています。





